朗読劇『ハロルドとモード』

舞台『ハロルドとモード』を観てきました。
今年、ハロルドを演じるのはSnow Man 向井康二さん。

彼の演技が好きな私は、この舞台をとても楽しみにしていました。しかも朗読劇。私は形式問わず舞台は広く好きなのですが、朗読劇は特に好き。役者の声色、最小限の表情・身振りだけで広げられる世界。そして役者の表現力と観客の想像力が相互に作用することで世界が形作られる感覚。しかもなかなか観る機会が多くないだけに、余計に高まる期待。


ハロルドとモードの原作は1970年代の米国映画ですが、正直に言うと、これまで私はこの作品を観たことがありませんでした。生田斗真さんが舞台の初代ハロルドを演じた時に作品自体は認識し、その後、藤井流星さんや佐藤勝利さんが起用されたことも知ってはいました。ただ、ストーリーに関しては「青年とおばあさんの恋物語である」という程度の理解しかしていませんでした。本音を言えば、康二くんの出演が決まっていなかったら観ることもなかったかもしれません。でも、私は結果的に仮に康二くんという存在を抜きにしたとしても、この作品を知ることに大きな価値があったと思っています。知れて本当に良かった。


原作のある舞台作品を観るとき、私は基本的に先に原作をチェックすることが多いです。これは、舞台において時間や演出の都合でカットされたり変更される内容があったとき、作品への理解が及びきらないのが嫌だから。後から原作を確認して(そういうことなら、あの時のあの人の表情をもっと見ておくんだった…)と後悔することがあるからです。

でも、今回私は観劇を終えるまで原作をチェックしないことに決めていました。その理由は、この作品が「朗読劇」だから。一定、観客の想像力に任せる部分のある舞台形式だから。映画を見てしまったら、きっと映画でみた情景に引きずられて、自分の想像力がその枠を超えることができなくなると考えて、舞台を先に観ることに決めました。結局観劇の翌日に原作映画を観たのですが、やはり先に舞台を観たのは正解だったと思っています。(個人の意見なので、先に原作確認したいひとはそれでも全然構わないと思います。)
この作品に限って言えば、かなり原作に忠実で、カットされている場面や設定の変更もほとんどありませんが、舞台オリジナルシーンはちょこちょこあります(映画しか見ていないので、もしかしたらノベライズにはあるシーンかもしれません…)。舞台の上演時間は約1時間40分、原作映画も90分程度とほとんど変わりません。ちなみに、原作映画、最高に素敵な作品だから、舞台の前にせよ後にせよ、最終的には観ることをお勧めします。配信で観られる。今回舞台を見られない方も、映画だけは観てみてもいいと思う。


ざっくりとあらすじを話せば、愛に飢え、狂言自殺を繰り返す19歳の青年ハロルドが、天衣無縫・天真爛漫な79歳の老婦人モードに出会い、愛を知る物語。命や人生という、答えのない重いテーマがとても魅力的に描かれています。命を軽視してはいないけれど、死を自然なこととして捉え、愛するひとのために「生きる」のか「死ぬ」のか、そんなことまでがとても美しく軽やかに、哲学的に、時に芸術的に、そして真理を知るかのように表現された作品。


舞台の中で名言はされていませんが、モードの腕に入ったタトゥーにハロルドが気づいたとき、ナチスドイツの収容所にいたことを意味していると理解しました。壮絶な人生を経て、大切な人もたくさん失い、深い悲しみを知るモードが、79歳の今、どのように生きるのが楽しいのかを19歳の青年に丁寧に見せていく様子に、陳腐な表現ながら心打たれました。愛に飢え、終わりゆくものに焦がれていたハロルドが、自ら愛することを知り、愛する人には「生きてほしい」と願うようになる。さみしいのに、温かさがあるストーリーが本当にたまらなく魅力的です。そもそもとしてモードは魅力的なキャラクターですが、それを徹子さんが演じることで愛らしさが増し、どこか儚さを身にまとう康二くんがハロルドを演じることで、ハロルドの心情の揺れや若さ、青さもより一層伝わるように思いました。
このシーンはハロルドとモードがともに夕陽を眺めるシーンでもあり、康二くん演じるハロルドの瞳の潤みと揺らめき、そして光が取り込まれていくさまは、もう言葉では表せない美しさがあり、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。


ここまで話すととても重い話のように聞こえるかもしれませんが、実際にはクスッと笑える要素もふんだんに盛り込まれています。モードの純真さからくる予測のつかない行動はもちろん、それに驚かされ振り回されつつも感銘を受けていくハロルドのかわいらしさ。ちなみに、徹子さんと康二くん以外のキャストは全員1人2役以上を演じるのですが、戸田恵子さんのずば抜けた表現力(さすが声優も務めるだけあって、声だけで表現する世界の広さが尋常じゃない)、渡辺いっけいさんのまじめな神父、古風な軍人像、良い意味で哀れで愛すべき芸術家までを演じきるふり幅、ハロルドへの理解が及びきらない精神科医からモードに振り回される不憫でかわいらしい警官をコミカルに演じる片桐仁さん。そしてさらには、主にモードとのお見合い相手の3役を演じた桜井日奈子さんの愛らしさ。可愛い顔でサンシャイン・ドアを演じきったのには、さすがの一言。桜井日奈子さんがあそこまで笑いをとっていくとは予想していなくて、もてる可愛らしさと演技力をどちらも損なわず、全力で演じきる彼女が好きで仕方ありませんでした。そして、ひそかに桜井日奈子さんのファンクラブに入っているのですが、もう絶対に更新しつづけるぞ、と決意を固める私なのでした…。


ところでこの日、徹子さんが途中で咳が止まらなくなってしまうハプニングがありました。舞台上に飲み物は容易されていますが、出ずっぱりであれだけの朗読をしていれば、そういう日もあって当然かと思います。徹子さんは何度か咳き込んでから「ごめんなさいね、」と言い、それに対して康二くんが「いいんだよ、モード」と優しく声をかけました。アドリブでありながら、確かにモードとハロルドの関係性を崩すことなく愛ある空間を保ったまま進めたことに、生のエンタメの良さと2人の信頼関係を強く感じました。


話は進み、終盤に頬を濡らしながらギターを弾くハロルドの痛みと美しさを目にしていたとき、周りの観客のすすり泣く声が耳に入ってきました。ちなみに私はそれより前のシーン(モードの家のフォトフレームに写真がないあたり)からずっと泣いていたのですが、周りも泣いていることに気が付いたのはこのシーンでした。以前、白い巨塔を観た時に康二くんに感じたのが「観ているひとを引き込むちから」です。器用で巧みな演技をするというよりも、観ているひとが味方をしたくなるような、感情移入を誘う演技をするよなぁと改めて思いました。


細かいことを語りだしたらキリがないので、感想はここまでにしておきます。幸運なことに、まだこの作品を観る予定があるので、次は原作映画との微妙な言い回しの違いや舞台のオリジナルシーンの意味合いなども考えながら鑑賞したいと思います。最高の作品を知り、その朗読劇を見られたこと、心から幸せに思います。残りの公演も通じて、どうかこの愛の物語がたくさんの人に届きますように。

Endless SHOCK 2023 -花束を君に-

千秋楽から随分と時間が経ってしまったのだけれど、北山さんがライバル役を務めた、Endless SHOCK 2023について書き残したい。

正直、言葉で表せるレベルではなかった。
それでも、溢れるこの思いをただ自分の中で消化することはできなくて、観たくても観られなかったひとがいるのなら伝えたくてどうにか言葉を尽くせたらと願う。

北山さんがライバルを務めたEndless SHOCK本編は、2022年に博多座で観劇し、そのクオリティは折り紙付き。当時史上最年少で帝国劇場で座長の立場となり、その後20年以上にわたってSHOCKを演じ続け、いまや作・構成・演出・主演の全てを手掛ける堂本光一さんに「ヒロミツのEternalが見たい」と言わしめた。ジャニーズ事務所を退所することが決まっていても、北山さんのSHOCK出演は揺らがなかった。実績と信頼が違うのだ。

※Endless SHOCK 2022(博多座・本編)の感想はこちら
moz.hatenablog.com

結果として2023年は本編とEternalの両方を演じるという、出演者泣かせのとんでもない事態となったのだけれど、北山さんのSHOCKを帝劇で見たいと叫んだ私としては、帝劇で見られるのみらず、2作とも鑑賞ができる大変贅沢でありがたい話ではある。
ちなみに、本編については2022年にあれだけ感想を書いたのだから、今年はEternalの感想だけ書けばいいかと思いきや、北山さんは昨年も演じたはずの本編すら進化させてきたので、このブログはまた長文になる。

ここからは、良かったところを箇条書きで。
※本編とEternalで感想が重複するところは本編の感想としてつづるので、結果的に本編のボリュームが多くなりました。

[本編]
〇Yes, My Dream
この曲に限ったことではないですが、やはり北山さんは歌唱力があるので、伸びやかで耳心地がいいです。木箱に乗ってコウイチとヒロミツが近づくシーンはもう「圧倒的なスター2人」。やはりヒロミツのライバルの良さは「コウイチと対等なライバル」として申し分ないこと。

〇劇場の屋上
このシーン、ヒロミツはマツザキと絡むシーンでしか笑わないんですよね。コウイチ「みんながひとつになったとき、いいものが作れるんだよ」の時の表情が、ヒロミツだけ苦しそうだったのを鮮明に覚えています。見つめ合って歌うコウイチとリカを切なさそうに見つめるヒロミツも胸を締め付けられました。屋上のシーンはこれまでもライバル役にとっては苦しいシーンではありましたが、ヒロミツが圧倒的でしたね。でも、周りの空気を壊すような自己中心的な感じでもなく、あくまでも秘めた苦しみが垣間見えるのが余計に切なかった。

〇ニューヨークの街
北山さんの演技の幅が分かりやすいシーンです。リカちゃんへの告白のキュートさから、「お前は黙ってろ!」と声を荒げるあの緩急をここまでつけたライバル役は初めてかもしれませんね。今までは「ギラギラなライバル役」がリカちゃんの前だけでおとなしくなるという印象でしたが(トラが猫になるみたいな)、ヒロミツは持てる本来の優しさと可愛さがあって、それを遺憾なく発揮している印象。もともと北山さん自身可愛い人ですから、彼の持てるポテンシャルが引き出されていて好きです。
 
〇MOVE ON
ヒロミツの存在感たるや。かつてはライバルに合わせた曲が披露されてきましたが、今はMOVE ONを定番化させる流れ。ほかのライバルも歌う曲を自分のものにするのは難しいと思うけれど、そこは信頼と実績の北山さん。昨年もそうでしたが、これまでのギラギラ感や粗削り感がなく、絶対的なライバルとして、丁寧で伸びやかな「魅せる」パフォーマンスには感嘆の一言です。

〇バックステージ
昨年も言いましたが「Show must go onかよ」の言い方。過去のライバル役に類を見ない言い方です。まず、読点がないんです。音でしか聞いてないですけど、読点がない。これまでは「"Show must go on"かよ」が定番でした。この読点。「、」この間があった。ヒロミツにはそれがないんです。これね、結構革命なんですよね。で、また言い方も力が抜けていて、諦めにも似た言い方なんですよね。「Show must go on」を貫くコウイチにうんざりしているんじゃなくて、ついていけない悲しみすら感じさせる、その表現力に脱帽です。

〇Japanesque
殺陣が圧巻。今までの「悪役」からの脱却。殺したくて殺してるんじゃないというのが伝わってきます。狂気に身を包んでいるのではなく、やり場のない気持ちを抱えて戦っている印象。コウイチが「死に損ない」と言われるほどボロボロになっても戦い続ける姿を、階段の上で静かに伏し目で見てる。睨むでもなく、あざ笑うでもなく、ただ静かに、感情を無くしたかのようにみている。あの表現も北山さんにしかできない、ヒロミツならではのものだと強く感じました。

本物の刀をコウイチが抜いた時の心情としてのちに2幕で語られる「俺の勝ちだよ!」という表情が、実際のシーンで全く見て取れないのは、昨年と同じ。むしろ(コウイチ、お前は続けるんだろ…?)くらいに見える。個人的な解釈ですが「俺の勝ちだよ!」は実際の心情ではなく、刀をすり替えたときにヒロミツが期待した展開でしかないのではないかと思っています。私には、ショーを続けるコウイチに対して(お前本気か?本気なんだよな。でもやめてくれ…)という抵抗、これ以上ついていけないことへの悲しみ・苦しみに満ちた表情のように受け取れました。階段落ち前に涙が出るのは、これまでヒロミツのライバル役でしか経験したことがありません。

本物の刀を抜いたあとの演技も、これまでのライバル役とは全く異なりました。慌てふためき、うろたえるのではなく、平静を装おうという感じ。これがコウイチが、ヒロミツが持っていると伝えた「ショーを続ける強い心」なのかな。そして階段落ち後の表情と手の震えに胸が締め付けられました。



ちなみに、階段落ちで1幕が終わることなんて、もう全国民が知ってる。でも、圧倒され過ぎて全然お手洗い行けない。立てない。余韻がありすぎる。心が苦しすぎる。


シェイクスピア
リチャード3世で光一に「続けろよ」と言われたあとの心許ないヒロミツの「え?」から、ショーを続けると決めてからの切り替えがすごい。夢の中で、何度も恐怖に苛まれながらもショーを続けようとするヒロミツの心の葛藤がよく表れています。そして、夢から目を覚ます前のヒロミツの演技が驚くほど細かい。体の震えに、心情が読み取れる。

〇Higher
昨年は、下手側で何度も手を握りしめる演技が印象的でしたが、今年はそれが無くなりました。コウイチの帰還に一時的に取り乱すものの、その後は脱力したように一点をみつめてる。曲後半はほとんど表情が変わらないのに、虚空を見つめるヒロミツに胸が締め付けられて目が離せませんでした。

〇バックシアター
コウイチが戻ってきたとき「何しに戻ってきやがった!」と突っかかるのに、死んでいたと知ったときの「なんでお前ら何も言わないんだよ」「いぃえぇよぉぉ…」を聞くと、ヒロミツにはコウイチに対して仲間だからこその甘えがあることを痛感する。絶対に失いたくない存在だったのに、目の前にしたらぶつかってしまう。幼なじみだからこその甘えに、ヒロミツの青さと幼さを少し感じて、ヒロミツという存在が愛おしくなる。
「言えよぉ」は消え入りそうに言うのがセオリーだったように思うけれど、あの一音ずつ拗音を挟むような言い方はヒロミツ特有の新しいアプローチのひとつ。すがりつくような心情が伝わる。セリフが心臓にまとわりつく感覚を覚えました。

「止まったやつは切り捨てられるんだろ?」の言い方、これもヒロミツでしか見られない特徴的な表現。それから「誰も振り向いてくれない悲しみ、俺には分かるんだよ」に力がこもっていなくて、ワントーンなのもヒロミツならではです。このセリフをよくワントーンで言おうって思えるな!?と驚きを禁じ得ないのだけれど、このトーンが見ている者の心に刺さるからすごい。やっぱり表現力画段違い。

〇太鼓
コウイチを横目でチラッと確認しながら、口角をくっと上げるヒロミツがいい。目を合わせるのではなく、あくまでもヒロミツが光一を見ているのがすごくよかった。

〇Ladder Flying
昨年、私が観た公演ではラダーの時にコウイチを見つめながら下唇を噛んでいたヒロミツが印象的だったのだけれど、2023はそれが無くなりました。どういう解釈の変化なのかな。2023のヒロミツの方が、より覚悟が固まっているのかな。

[Eternal]
ヒロミツのEternalほんっっとにすごかった。光一さんが「ヒロミツのEternalが見たい」と言った意味がよく分かりました。
恥ずかしながら、正直に言うとEternalに関しては「コロナ禍でこれ作った堂本光一さん凄すぎると思うし、3年後のライバル役が見られるの最高!ただ、やっぱり回帰するところは本編」と思ってきました。スピンオフ作品ですから、当然と言えば当然かもしれません。

でも、ヒロミツのEternalはすごかった。もちろん、コロナ禍が一定落ち着いて、前よりも演出面で出来ることが増えたというのもあるとは思うんです。それでも私はヒロミツのEternalを観て、「これがEternal?私たちが観てきたEternal?同じEternal???????」と思いました。あまりに良過ぎた。ヒロミツのEternalがこんなに良いなんて知らないから、チケット取るときに本編の割合を多くしてしまったことを本気で後悔しました。Eternalもっと観たかったし、もっと観るべきだった。



〇階段落ち回想
階段落ち前のヒロミツの表情がすごい。表情が大きく動いているわけではないのに、目が離せません。Eternalのこのシーンは、台詞的にも原君の演技の癖的にもハラの演技が目立ちやすいんですけど、ヒロミツが全然ハラに喰われない。表情だけで、ですよ。とんでもないことだと思ってます。

〇Higher
Higherを踊るコウイチの横で苦悩するヒロミツと、3年後にヒロミツがHigherを踊っている光景が重なるシーン。昨年の帝劇Eternal(勝利くんのライバル役)の途中から演出変更となって生まれたものです。3年後のヒロミツは真剣な表情で、にっこりは笑わないけれど、表情は曇っていなくて、少し口角が上がっているのが印象的。

〇CONTINUE
百合の花をおいた後、しばらく止まって、その後ニコっと笑うヒロミツの表情がもう言い表せないくらい胸に刺さる。




北山さん、素敵で新しいSHOCKを教えてくれて、どうもありがとうございました。
私は『愛の唄をうたおう』を観た日から北山さんのミュージカルの大ファンでしたが、長年観てきたSHOCKにこんなにも新しい価値観を持ち込んでくれるなんて思わなかった。
本日38歳を迎え、新たな人生を歩み始めた北山宏光さんに、心からのエールを送ります。
これからも歌い、演技も続けるという彼の今後を、心から楽しみにしています。
彼の新しい人生が、祝福に満ち溢れていますように。
これからも大好きです。

帰ってきたどころかパワーアップし過ぎてた話~Endless SHOCK~

観てきました、Endless SHOCK 2022 at 博多座

やっと帰ってきた本編
待ち望んだ本編


ライバル役に北山宏光さん。
歌も上手い、踊りも上手い。
演技も振り幅が広く、闇もつくりだせる彼に
初めから絶大な信頼を置いていました。


もちろん博多まで足を延ばすことに一切の躊躇はなく、ただひたすらに楽しみにその日を待っていました。そしてやっと迎えた観劇の日、長年愛してきたEndless SHOCKの舞台からわたしが受け取ったのはあまりにも衝撃的なものでした。「良すぎた」のです。もとより絶対的かつ絶大な信頼を寄せ、高すぎるくらいの期待もしていたのに、です。


北山さんはこれまでと一線を画すライバル像を創り上げていました。おそらく、ほぼ全てのオタクがこれまで同様に


ギラギラで

ライバル心むき出しで

抑圧され、ギリギリのところにいる



そんなライバル役を演じる北山さんを想像していたと思います。それが、蓋を開けてみたら



全然ちがう。


ぜんっっっっぜん違う!!!!



予想より大人びていて、コウイチの才能を認めていて、僻みよりも自分への苛立ちや不甲斐なさの実感が大きく、素直さも持ち併せているのに、ただ不運にも追い詰められてしまっただけの、そんなヒロミツがそこにいました。


少し話が変わりますが、実は個人的に長年、ライバル役にとってネックだなぁと感じていたのが、ふぉ~ゆ~の存在です(褒めてます)。SHOCKカンパニーの中のライバル役はコウイチに次ぐポジションですが、あのカンパニーにはふぉ~ゆ~(越松)がいるわけで。長年SHOCKに出演してきた実績から導かれた圧倒的安定感がある。それを超越する2番手としてのスキルが必要になってしまうのが、ライバル役にとってとても高いハードルだと思っています。


コウイチを超えられない

それでもやっぱり輝いてはいて

1番でも3番でもなく

あくまでも2番でいなければならない。



これ、めちゃくちゃむずかしくないですか?ちなみに、これまでライバル役のソロ曲(今は「MOVE ON」)は「粗削り感」を出すのが定番だったと思います。でもこれがまさに難しいところで。これまでは粗削りになればなるほど、「なんでこの人がこのカンパニーの2番手?」という疑問が頭に浮かびました。個人的にそんな考えを持ちながらみてきたライバル役のソロ曲ですが、今回のMOVE ONの北山さんには粗削り感はなく、歌もダンスも丁寧で、上手くて。それでもトップスター「だけ」がもつ華やかさは出さず、一方で秘めたる野心は感じさせられる、そんなMOVE ONでした。彼がこのカンパニーの一員であること、コウイチに次ぐスターであることに違和感を覚えさせないものでした。


本来幼少の頃より切磋琢磨してきた
とても素敵なカンパニーの一員だから。
きっとミュージカルを愛して、
人を愛し、愛されてきた人間だから。
ただ粗削りなんじゃなくて、
ただワガママなんじゃじゃなくて、
ライバル役には愛される人柄が
根底にあってしかるべきだと思うから。


ヒロミツの人物像すら観客に伝えられる、そんなMOVE ONだったと感じました。あれを見た瞬間、新しいEndless SHOCKが生まれることを確信しました。
ただ帰ってきた本編なのではない。とんでもなくパワーアップした本編なのだと覚悟を決めて観ました。

ここからは印象に残ったところを箇条書きで。

〇屋上のシーン
リカがコウイチにネックレスを渡したときの表情もなんとも言えず。きっとコウイチを認めているからこそ、ただただ僻むこともできない苦しみがきちんと感じられました。

〇バックステージ
コウイチは「ただ自分が出られなかったことに怒っているだけ」と窘めますが、私には「ただ自分が出られなかったことに怒った」のをきっかけにしつつ、苦し紛れながらも冷静な問題提起はされていたように思います。「ああすりゃよくなる、こうすりゃどうって毎日変更だして」いくことは、SHOCKの世界では是とされていますが、リアルの世界ではきっと賛否あると思います。私個人は、変更も改善も生もののエンタテインメントならではだと思っているので大歓迎の人間ですが、毎日同じものを提供するのがプロだという意見もきっとあるでしょう。ヒロミツが実際にそう思っていたとは思いませんが、あの問題提起をただの八つ当たりとして一蹴してしまうのは乱暴かもしれないと考えさせられました。
そして忘れられない、あのサラッとした「Show must go onかよ」の言い捨て方!過去イチでサラッとしていたように思います。あくまでも感情を抑えながら、諦めにも似たあの表現には心打たれました。

〇Japanesque
・殺陣
ちょっっっっっっっっっっっと待った!!!!と叫び出しそうになるほど、これがすごかった。剣先のブレなさですよ!歴代ライバルの中で一番ブレなかったんじゃないでしょうか。光一さんもこだわっているポイントだけれど、振りぬいた刀は、手元で数ミリでもブレれば剣先は数センチのブレになると言われています。実際、何度もブレた剣先を目にしてきましたが、こればっかりは相当鍛えないといけないだろうし、光一さんと同じレベルを求めるのはあまりにも酷だと思っていました。それが、北山さんはピタッと止めてきたので衝撃でした。どれだけ鍛えたんですか?インナーマッスルサイヤ人級ですか?

・階段落ち前
予備の刀をコウイチが引き抜いた後、ヒロミツの表情には「俺の勝ちだよ」という感情は微塵もみて取れませんでした。個人的な見解ですが、そう思いたい気持ちはありつつも、コウイチのプロ精神を誰より知っているヒロミツは、心のどこかではコウイチはたとえ予備の刀が本物の刀であったとしてもショーを続ける可能性があると思っていたのではないかと感じました。だけどその事実を受け入れきれず、コウイチの挑発にどう対応すべきか戸惑い、最後には刀を引き抜くヒロミツは、私の目には「ただ挑発に乗ったライバル役」ではなく、2幕でコウイチが言うように、「ショーを続ける強い心」をもっていたように映りました。「本物の刀で続けられるかよ」そう言い捨てれば無理矢理にでもショーは止められたのに、それをしなかったライバル役としてとても自然に映ったのが印象的でした。

シェイクスピア
詳細は割愛しますが、全体としてどの演目でも苦悩とショーを続けようとする意志との葛藤がよく表れた表情が印象的でした。

〇Higher
個人的に印象的だったのはヒロミツの「手」。気持ちを押し込めるようにだんだんと力がこもる手。時々緩み、そしてまたギュッとなる握りこぶしが忘れられません。彼の心の葛藤がよく表れていました。

マツザキの寄り添いを強く拒絶しはねのけるのではなく「大丈夫だから」とでも言うように肩を軽く押すだけなのも忘れられません。
これまでのSHOCKで個人的に違和感があったことのひとつに、マツザキがHigherに加わるシーンが挙げられます。なにがあってもライバル役のそばにいるようコウイチに託されたマツザキが、コウイチの帰還に戸惑い明らかにギリギリの精神状態のライバル役を横目にHigherに加わるのがすんなり飲み込めませんでした。まるでライバル役を置いていくかのようで。でも今回のライバル役、ヒロミツはマツザキの肩にそっと触れるだけで強い拒絶は見せないんですよね。自制がきいていて、「大丈夫だから、お前は行ってこい」とでも言うように触れる。そのおかげでマツザキがHigherに加わったのもすとんと胸に落ちた。そして、コウイチが1幕でリツキに言う「大丈夫、ヒロミツのとこ行ってこい」の発言が思い起こされて、コウイチとヒロミツが互いに互いを認め、仲間が互いのそばにいることを望んでいるのだということが伝わってきて胸が張り裂けそうだった。
「焦れば焦るほどみんなも俺から離れていった」と言うヒロミツは、辛くても張り裂けそうでも間違いを犯してもなお、最後の最後までコウイチを認めてコウイチを想っていたんですよね。あぁ、今も泣きそう。

〇コウイチの死
 SHOCKで涙を流すシーンの定番、ライバル役の「なんで誰も何も言わないんだよ!」「オーナー嘘ですよね…」「嘘って言ってよ…」「言えよぉ…」。歴代のライバル役に比して大人びて見えたヒロミツの消え入りそうな「言えよぉ…」は、まるで小さな子供のようで、見ていられませんでした。あれは…泣くよ…。周囲が一斉にハンカチを目元に当てているのを感じながらの観劇でした。

〇夢幻
 コウイチとのシンクロ性の高さがピカイチ

〇ラダーフライング
 コウイチを見つめるヒロミツの絶妙な表情。コウイチの背中を一瞬たりとも見失わないとでもいうかのような、そんな表情で、時々下唇を噛むのも印象的でした。ここでもちょっと泣きました。


総論として本当に最高でした。これ、是非帝劇で見たいです。お願いだから帝劇で見せてくれ。頼む!!!!!どうか届いてこの思い!!!そして最後に、北山さん、最高のEndless SHOCKをありがとうございました!

無限なる輝きの果てに(滝沢歌舞伎ZERO 2022)

滝沢歌舞伎ZERO 2022に行ってきました。
大好きなひとが、そこにいました。



得も言われぬ感情を抱き、わたしの語彙力ではどうにも語り切れないのだけれど、ただひとつ言えるのは「どうやらわたしは向井康二くんがとても好きみたいだ」ということ。



今更?って思われるかもしれないけれど、本当にそう思いました。



今まで自覚していた「好き」とは比にならないくらいの、とてつもない「好き」を思い知らされたとでも言えばよいのでしょうか。「あぁ、好きってこういうことなんだ。どうやらわたし、康二くんのこと、とんでもなく好きみたいだ…」って思ったんです。


上演中ずっと



康二くんに心奪われて、



康二くんに魅せられて、



康二くんが好きだった。



自分でも驚くほど、康二くんが好きだった。
胸が、康二くんへの思いでいっぱいだった。
目が、康二くんを追うのに必死だった。
全身が、康二くんが好きだって叫んでた。


滝沢歌舞伎に限ったことではないですが、舞台が始まるときの、音楽が高鳴って胸がときめくあの感覚がとても好きです。わたし、このために今日まで頑張ったんだよね。そうだそうだ、わたしこの瞬間のために生きてるんだったって改めて思える、大好きな演劇の世界。生ものの「エンタテイメント」がそこにありました。


少し話は逸れるのですが、先に近況を少し。
こんなことを言うと心配をかけるかもしれないけれど、最近のわたしは正直に言ってかなりギリギリだと思います。戦っている人に対する心無い誹謗中傷を目にすれば涙し、いくらでも修正できる些細な仕事のミスでひどく落ち込んで帰りの電車で号泣し、久々に会った母の顔を見れば嗚咽するような精神状態で、自分でも結構やばいなって今も思っています。(このブログを書く時、どうしても暗い話題が多くなりがちで本当に申し訳ない…)

こういう不安定な状態になるのは、おそらく康二くんに救われた2020年6月以来、人生2度目のこと。このはてブロでも記事にしましたが、当時疲れ切って不安定だったわたしの心を、人生を、「ごめん、ケガない?」のたった一言で救ったのが康二くんでした。
元々あんまりメンタル強いタイプでもないし、些細なことで落ち込んだりするタイプ。4月以降、人の冷たさに触れる毎日で、どうしても心の傷が治らないままに闘わなければならない状況下。正直、ボロボロ。

5月13日。明日はやっと滝沢歌舞伎にいけるというのに、こんな精神状態で大丈夫なのか?と思い悩み、普段あまり暗いことは書かないようにしているTwitterに、本音を打ち明けました。

優しいリプ、マシュ、LINEくれたフォロワーさんやお友達、本当にありがとうございました。

この日の夜は、わんわん泣いて、泣いて泣いて泣き疲れて寝て、翌朝わたしは大泣きしたあとのけだるさを抱えながらも、少し晴れやかな気持ちになっていました。吐き出してよかった。演舞場につくと、心の晴れやかさは増し、着席すると不思議と気持ちが落ち着いていくのを感じました。劇場がもつ、特有の雰囲気がわたしは好きです。


そして始まる滝沢歌舞伎ZERO 2022。
オープニングの軽やかなパフォーマンスのあとに現れたSnow Man。シルエットだけでも、あれが康二くんだ、とすぐわかる。そして光に照らされて9人の顔が見えた瞬間、冒頭に言った通り


「この瞬間のために生きてる」


そう思いました。
エンタテイメントには、そう思わせる力がある。

康二くんが、Snow Manが舞台に立っている姿を見た瞬間、すべて報われた。すべて救われた。

人の冷たさに触れたとしても立っていられるのは、足を前に踏み出せるのは、言葉を発せるのは、なんとか気持ちを保って帰りの電車まで涙をこらえられるのは、希望をくれるエンタテイメントを享受できる時代に生きているからだと心から思いました。
依存はせず、大好きな人がいなくても生きていける自分でいようと常日頃意識しています。人生を好きに選択してほしいから、彼らがいつか別の選択をしたくなったとき、ファンに遠慮することがないように。自身の依存が彼らを悲しませないように。だけど彼らがいなければ、きっと世界の彩度は全然違う。地面を踏みしめる力強さも、選ぶ言葉も、涙が溢れるタイミングもきっと違う。わたしはまた、そして確かに、救われました。

(これだけ重くて長いブログ書いてるのに、まだ滝沢歌舞伎の序盤も序盤、ひらりと桜以前の話してるからこわいよね…。ここからは演目別に、思ったことを一気に書き連ねていきます。)



〇ひらりと桜
康二くんの髪はオールバックにセットされ、わたしが大好きな彼の額と生え際がとても綺麗に見えました。あの額、国宝級ですからね。

大量の桜の花びらをかき分けて前に進み出た康二くんは、やっぱりかっこよかったです。頭の上にさくらの花びら乗っかってるの、どう考えても可愛いはずなのに「かっこいい」しか言葉がでない。凛然とした美しさ、佇まい。大好きな大好きな康二くんでした。康二くんってかっこいい。ずっとかっこいい。純度100%でかっこいい。



〇いつか
ひとりずつ出てきて、ピンに照らされて歌うのが素敵でした。特に印象的だったのは、暗がりの中、上手から出てきてスタンバイする佐久間くん。暗がりでも、ほかのメンバーにライトが当たっていても、姿勢・歩き方が「魅せる人」のそれで、本当にかっこよかった。そしてラスト、康二くんに合流するみたいに9人がそろったときは、やっぱり泣いてしまいました。



〇Breezer
ミスターラウールの美しいこと!!!!どこからどうみても大天使。白インナーと白のロングシャツに合わせた黒のパンツで、足の長さが映える映える!!シャツに空気をはらませて踊るミスターラウールはどこまでもきらめいていて、「希望」を可視化できたらこんな感じなんじゃないかと思いました。あとは振付がめちゃくちゃよかった。YOSHIEさんですよね?ほんと、さすがです。目黒くんとラウールさんのモノクロのコントラストも綺麗で、どこまでも「対」を感じる演出でした。なるほど、これがめめラウBreezer…



〇Into the sky
深澤さんなんであんなに袴似合うんでしょうか。恋です。以前から思ってたんですが、深澤さんもなかなかの他担狩りではないでしょうか。「狩る」といっても、他担を降ろさせて自分の担当にするんじゃなくて、他担のままに、恋だけさせられるみたいなところある。リアコ枠怖すぎ、好きすぎ。皆さんご存じのことと思いますが、私は深澤さんが相当好きです。ダンスも歌も好きです。ところで深澤さんに本格的な殺陣やってもらいたいな。
舘さんはさすがの佇まいで、彼がいると締まるなと思いました。メンカラの刀を振り回して戦うの、舘さんが一番迫力あったし、一番斬られたい。もう一度言うけど、一番斬られたい。
ちなみに渡辺くんは七五三を連想しました。袴可愛い。真ん中に立ってても歌ってても刀ふってても、記念写真撮りたくなった。渡辺くんっていつからあんなに可愛くなったんだっけ…?なべしょ時代の渡辺くんの面影はどこにおいてきたんだっけ?



〇変面
私生活がバタバタしていて、レポを全然漁れないまま観に行ったわたしは「え、今回変面1人なんだ!?」から入りました。でも、顔が見えなくてもわかる。あれは確実に岩本さん。衣装を操る指先まで美しくて、さすがの一言でした。
佇まいと動きだけで観客を楽しませなければいけないって、相当ハードル高いと思うんです。変面は伝統芸能とはいえ、お面が次々と変わっていくだけで全観客が満足するわけじゃない。お面を変えるタイミングも、コンマ1秒の差で見え方変わると思うし、仕掛けは機密で失敗できないプレッシャーもある中、魅せきった岩本さんはかっこよかったです。



〇My Friend
康二くん…かっこいい(それしか言えないの?)本当にかっこいい。康二くんの優しくて甘くて泣きそうな声が好き。康二くん好き。康二くんのことになると急に語彙力低下するの本当にどうにかしたいけど、言葉にできないようなかっこよさを湛えている康二くんがいけないと思う。いや、康二くんがいけないことなんてないけど。衣装も最高だったんですよね。康二くんに似合わないものってないんですか?歌も良くて、阿部くんの声と康二くんの声は相性がいいなと思ったし、あの2人だから出せる空気があった。あと康二くんかっこいい。
それと、後ろでフライングしてる佐久間くんの体幹を見てぼんやりと(佐久間くん1回、SHOCKのリボンフライングにトライしないかな…)と思いました。天使降臨すると思うんだけどどう?
あべさくというSnow Manの「こーじを可愛がり隊」ツートップ×康二くんの図なのに、可愛さ皆無で120%かっこいいに振り切ってるのが新鮮でした。この3人が楽屋でくっつき虫とかしてるのか…と思ったら感情がぐちゃぐちゃになりました。康二くんかっこよかった。語彙力の限界を超えるアイドル。わたしは悪くない。



〇腹筋太鼓
考えるな感じろの世界だと思っているので、これについては言葉にはしません。しいて言うなら、叩き終わったあとにバチをくっと持ち直して終える康二くんが好きでした。



〇Feel the light, Lovely
康二くんの衣装考えたひとーーーーーーーーーーーー!!!!!!お礼を言わせてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!一瞬歌番組かと思ったくらいには舞台っぽくない衣装だけど、シンプルでおしゃれで恋でした。フレアパンツ、シャツ、ベージュのベスト…えっと、その、、恋でした。なんといっても…恋でした。舘さんの衣装も素敵だったし、深澤さんも安定のふっかさん仕様の衣装(ふっかさん仕様とは)でやっぱり恋でした。振付もめちゃくちゃ良かった。あまりにもよかった。これもYOSHIEさんですよね?頭あがりませんね…
一幕で一番好きな演目だと思うけど記憶が「好き」「かっこいい」しかなくてあまりにお粗末だからあんまり語れない。好きなものほど記憶をなくすタイプなので仕方がないです、これは。



滝沢歌舞伎ZERO
(↑これ生化粧以降の演目名でいいの?そこのところ、よくわかってない)

化粧のとき、今年からマイクスタンド導入されたんですね。化粧しながらも常にマイクに手を伸ばしてた康二くんも仕事人でめちゃくちゃ好きだったけど、冷静に考えて早化粧してるのにハンドマイク持たせるのハードすぎるからスタンド導入されて良かったと思います。鬢付け油の塗り方が丁寧な康二くん好きだし、羽二重つけるときの表情もクッとしてて好きだし、白塗りするときになぜかお顔膨らませるのが妖精さんかと思ったし(滝沢歌舞伎で唯一康二くんが「かわいさ」を出した瞬間でした)、筆を引くときにもう片方の手で支えてる康二くんも最高に好きでした。康二くんって、指も手首も腕も綺麗だから、顔以外にも楽しめる要素が多くてとてもよかった…よかった…

歌舞伎部分では、本来の歌舞伎でもよくつかわれる衣装替えの引き抜き!康二君の衣装替えは「ぶっ返り」と呼ばれる手法のものかなと思うんだけど、引き抜きがとても好きなわたしとしては、あそこはとても高まります。好きです、とても。
そしてさらに、花鳥風月に合わせて披露された連獅子、WSで見てた時は「これ、アップじゃないと誰が誰かわかんないんじゃないの…?双眼鏡ならわかるかな…」とか思ってたんですけど、肉眼で全然問題なく分かる。余裕で分かる。絶対にあれが康二くんだって一瞬で分かるから驚いた。どれが康二くん?って言われたら即答で「あの一番かっこいい獅子だよ」って答えますね(ちゃんとみんなかっこよかったですよ)。改めて、お化粧した康二くんがとってもかっこよく見えました。好きです。



〇鼠小僧
オープニング映像で官兵衛の歯を抜いてくれた人ありがとう。わたしは官兵衛が好き。康二くんが好きか官兵衛が好きか選べって言われたら一生悩んでしまうくらい官兵衛が好き。官兵衛の悲しい過去(があるはず)をいつかわたしが受け止めたい。

ところで金さんが死ぬのは知ってたけど、あんな冒頭から死んでると思わなかったです。死んだ経緯とかなんかもっとないの?!それから、つば太郎と金さんの思い出が「富士急」だったの、結構ぶっ飛びました。

お丸「ふたりで行ったの?」
つば太郎「はい」
わたし「え」

え、康二くん抜きで佐久間くんと椿くんが富士急行ったんですか?もう一度聞きますけど、康二くん抜きで?なんで???どうして???なんで????お丸「金さんとの思い出は?」つば太郎「富士急」のあと、金さんがめっちゃ笑ってたの可愛かった。つばさくという新ジャンルがここに爆誕しましたね。あと、犬の紹介の時に「ステフォで見たやつこれかー---------!!!!!」と思いました。頭は金さんで体は金ちゃまって、これどこのシーンなんだろう…って思ってた。

そしてついに黒影組の登場。康二君が一番身長低いはずなのに、それを感じさせない圧倒的な頭領感。普段の康二くんが可愛すぎてつい忘れがちだけど、康二くんの目ってガラス玉みたいに綺麗だから、目の使い方次第で冷たさも出せるんだよなって官兵衛見るたびにはっとする。ちなみに、小春の形見の手拭いを抜き取る演出がいつからか無くなったようですが、以蔵の肩に置かれた官兵衛の手が、以蔵の服をぎりぎりと掴んでいるのが痺れました。それから、バルコニーに出てくるとき、半兵衛と以蔵の話を聞きながら、計略を練るみたいに刀にかけた手の指をパラパラ動かしてたのがたまらなく好きでした。個人的な感想ですが、官兵衛は去年ほどの気持ち悪さはなくなった気がします。今年の官兵衛はより理性的で、でも、理性がある方が物悲しくも感じられて好きでした。

これは演技をしたこともない素人の意見なので間違っているかもしれないけれど、悪役の演技の方が一般的に「すごい」と思われやすのではないかと思うことがあります。ぶっ飛んでたり、大声出してみたりすればそれっぽくなりやすいというか。でも初めて官兵衛を見た時、その域を超えていると思ったのを覚えていて、ぶっ飛んでるとかじゃなくて「気持ち悪さ」があったのがとても恐ろしかった。だけど、今年の官兵衛はこれまで以上に理性を感じるし、気持ち悪さも抑えられているのに「悲しみ」が感じられた。悲しい人に見える悪役って、個人的にとても好きな演じ方なので、官兵衛がまた進化してる…!!!って震えちゃいました。康二くん、きみは一体どこまで行くの…すごいよ…

14日の昼公演の辻斬りシーンは銀さん「服装が汚いんだよ!」官兵衛「…(じっと服をみたあと、半兵衛と顔を合わせる)」でした。大丈夫、薄汚れた服装がめちゃくちゃかっこいいよ!!!!!好きだよ!!!!官兵衛FIGHT!!!!!!!!!

そして大詰め、石神井の森での決闘シーン。下で別の人と戦う新吉に、上から狙いを定めるみたいに目線を飛ばしてるのが好き。一瞬だけど、細かく丁寧な演技だなぁと思いました。新吉と戦ってるとき、上の方で端まで追い詰められた官兵衛が一瞬後ろを確認するのが好き。さすがにかっこいいが過ぎるよ。行き過ぎです、官兵衛さま。どこまでも物悲しくてかっこいいお人。



〇WITH LOVE
康二くんの優しい歌い方が心にしみる一曲。康二くんのソロパートの歌い出し、一音一音を丁寧に押し撫でるみたいな「こどう…」が堪らなく好きでした。目線の配り方、指先、あぁこの人のパフォーマンスが大好きだって最後までずっとかっこよくて、ずっとかっこよかった。


最後に。
ほとんど康二くんの話しかしてなくて申し訳ないけれど、わたしはこうして「あぁわたし、康二くんのことすごい好きみたいだ…」と思い知らされたのでした。そしてこのブログを書き終える今、私は最近の辛い環境のことなんてすっかり忘れているのだから、アイドルってすごい。

わたしは今日もアイドルを愛しています。彼らが無限なる輝きを放って駆け抜けたその先に、今よりさらに大きな大きな幸せがありますように。

きみを好きでよかった

2020年6月27日
向井康二くんを好きになったあの日


あれから1年が経ちました。


毎日目が覚めるたびに「今日もこーじくんが好きだ」と思うし、寝る前に「今日もこーじ君が好きだった」と思う。1年経った今も彼のことが好きで好きでたまらない。

彼を好きになったときは、当時の沼落ちブログにも書いたとおり、目の前の世界が本当に地獄に見えていた。

moz.hatenablog.com

私の環境が本当に地獄だったのか(間違いなく天国ではなかったけれど)、はたまた地獄のように見えていただけだったのか、今となっては分からない。でも、本当に些細なことで心が揺さぶられていて、靴紐がほどけただけでどうしよもなく悲しくなって、道端で座り込んで泣いたこともあったほど。耳に入ってくる心無い言葉、罵詈雑言。意見と暴言の境目がぼやけていき、自分はどこに向かっていて、果たして今やっていることは正しいのか、意味を成すのか、また家族には会えるのか。そんな不安に苛まれる日々だった。



誰かを傷つけることが正当化されることはあってはいけないけれど、一方で当時の社会は未曽有の事態に混乱していて、他人を思いやる余裕のないひとが一定数いたことを、そして今も少なからずいることを少し仕方なくも思う。それほど、社会は疲弊している。



しかし、社会が混沌とし、優しさや愛を見失いそうになる中にあって、さらにはドッキリにかけられてもなお、彼は見たこともない猿を心配していた。普通ならいるはずもない猿に「君だれ?」と問いかけ、驚いた拍子に猿に危害が及んでやいないかと心配し、


「ごめん!ケガない?」


と声をかけた。
カメラが仕掛けられていることすら把握していない中、状況も飲み込めない中、彼は猿の心配をしていた。


わたしはあの日、泣きたくなるほどの優しさを当然のように身にまとう彼に、まぎれもなく救われた。自分が生きているこの同じほしの上にこんなにも優しい人がいる。今目の前に広がっていると思っていた地獄は世界のほんの一部でしかなくて、世界はもっと広く、果てしなく優しく、どうしようもなく美しいものなのだと信じることができた。たかが一言。それも自分に対してではなく、一匹の猿に向けられた一言。でも、その一言がいとも簡単にわたしを救った。


あれから1年。これまでの彼の苦労も、過去も、どんなにどんなに調べても追いかけても、知るには限界があった。これまでの彼を応援してこられなかったこと、支えてこられなかったことを、悔しく思うことがないわけではない。でも、わたしは出会うべきタイミングで彼に出会ったのだと思っている。わたしはあの日に彼を好きになってよかった。あの日に彼の優しさに触れたことに意味があった。デビューしてくれてありがとう。これまで頑張ってきてくれてありがとう。おかげであなたを知り、応援することができています。


この1年、実は、彼に救われたあの時よりも仕事が忙しくなったこともあった。フォロワーさんには「いつか倒れる」と心配され、自分でも「さすがにそろそろ倒れかねない」と危機感を覚えた。1~2時間しか寝られない日々が続いたときも、寝坊するどころか、起きられないんじゃないかという不安が勝ってしまうようで、「寝坊した!?!?」と焦りながら30分で起きてしまう始末。健康面で褒められた働き方ではないのは間違いないけれど、それでも精神的には、彼に救われたあのときよりもずっとずっと安定していた。どんなに忙しくても、いつも心にこーじくんを存在させた。疲れていても「もみあげ手裏剣!」のひとことで気力が湧いた。テレビが見られなくても、連載を読む時間がなくても、同じ世界に彼がいるという事実だけで落ち着いた。


彼を好きになったから強くなったのでも、安定していられたのでもない。彼を通して「人は、あんなにも当たり前みたいな優しさをまとうことができる」と知ったことで、わたしは強くなったのだと思う。


おかげでわたしは毎日笑っている。こーじくんのお誕生日にお祝い!!とか言ってお寿司に5万以上使っちゃうし、オレンジの花束抱きかかえて東京の街をヒールで走り回っちゃうし、使い方が全く分からなかったアクスタの写真を不慣れながらも撮ってみたりもするようにもなったんだよ。今もこーじくんのテニス姿が見られると知ってしまい、楽しみすぎて興奮して眠れないし、本当に幸せだよ。


こーじくんと、こーじくんの大切な人たちが笑っていてくれたらそれだけで充分。会えなくても、現場に入れなくても(頑張って会うし頑張って現場も入るけど)、こーじくんが幸せならそれでいい。こんなにも純粋に誰かの幸せを願えること自体が、とんでもなく幸せだよ。だからこーじくんは、もっともっともっともっと、どうしようもなく世界に愛されてください!!!!



今日もこーじくんが大好きでした。
そしてきっと目が覚めても。

猿出の新規、強さと優しさの色を知る(#E7BB5E)


大好きな人に、初めて会った。
大好きで大好きでたまらないひとを、
初めてこの目に映した。


その瞬間の感情をただ書き残したくて
また久々にこのブログを書いている。



彼を好きになったのが2020年6月27日。



好きになってから9か月半。
運よく入れることになった滝沢歌舞伎


やっとだった。
でも、あらゆるエンタテイメントの場が消えゆく中にあって、たった9か月半で会えるのだからむしろ幸運なのだろう。



「たった一度だとしてもかまわない」
「もう今後二度と会えなくてもいい」


本気でそう思っていた。



実はSnow Manのメンバーで唯一、本当にただひとりだけ、向井康二さんのことだけは直接見たことがなかった。



実在する彼を感じて
あの日救ってくれた彼が輝いている瞬間を
この目に映すことができたら。


彼をこの目に捉えて
胸の中で感謝を唱えることができたら
それだけで。


自己満足でしかないけれど
そういう気持ちだった。



もちんろん「好き」だし、
なんなら「大好き」だし、
かっこいいし、可愛いし、尊敬している。


でも彼を好きになった日に感じたのは救い。


この世の中に、
今わたしが生きているこの世界に、
こんなにも心優しいひとが存在している。
そんな救い。


(出会いは過去記事参照)
moz.hatenablog.com


どんな感情が生まれても
前提にあるのは感謝だった。
舞台に対するワクワクした興奮すら
軽く上回ってしまうほどに込みあがる
重たくて自分でも処理しきれない感情。


それでも開演は刻々と迫り
心を落ち着ける暇などないまま
幕は上がる。


幕の向こうの眩い光
その世界観に一気に引き込まれ
舞い踊る桜に、体中が魅了された。
涙が一筋だけ零れて、視界が霞んだ。


泣いていたら彼らが見えない。
でも、涙を拭う仕草すら惜しいほど。


立てる舞台に全力で取り組み、
輝いている、大好きなひとたち。


そして、初めて目に映す
その中でも特別に大切なひと。



あんなにも素直で
あんなにも綺麗で
温かくて、寂しがりやで。

どこか哀愁があって
孤独で
高潔で

愛されたいと言いながらも

愛されるためではなく
当たり前に人を愛するひとを

繊細だけど強くて、
きちんと自分自身を大切にしていて、
それなのに人のためになら
自分を犠牲にしてしまうひとを


どうして好きにならないことができるだろう



そして自分は今、好きになったその人をこの目に映せているのだと思ったら、もう何も思い残すことはないと思った(死ぬの?)。



わたしが初めて見た向井さんは
輝いていて、確かに存在していました。



特別な人を、初めてこの目に映した、
あの日あの瞬間の得も言われぬ感情を
きっとずっと忘れない。






ちなみに、この公演は
同担のお友達と入った。


いつも前向きで優しくて
康二くんのことが大好きなんだって
ツイートからひしひしと伝わってくる
とても素敵なお友達(フォロワさん)で
会いたくても中々会えなかったのだけれど
この公演を機にやっと会えることになった。


向井担の方は本当にみんな優しくて驚く。
彼女も例に漏れず、しかしその中でも圧倒的に優しくて。そんなお友達と一緒に康二くんを見られているんだと思ったら相乗効果になって、会場にいる間ずっと、いろんな感情が溢れてとまらなかった。


結果、滝沢歌舞伎を観た感想は
「わたしは人に救われて生きてる」
(情緒がすごい)


本当は、演技とか、
作品へのすばらしさとか
色々と感じたことがあったのだけれど
文字に起こすにはあまりにもおぼろげで
遠い記憶のようになってしまった。
まるで夢のようで。


座った席はとても見やすくて
官兵衛がとにかく近くて。


官兵衛が出てきた瞬間には、
ついお友達と寄り添った。
(初対面なのにね。)


誰かと寄り添わずして
正気を保てるとは思えない
存在感、空気、


そして、多少は誇張というか、あくまでも喩えだと思っていた彼の瞳の色は、光が当たると本当にハチミツ色だった。


茶でも金でもなくて
本当にハチミツ色だった。


こうしてわたしは、この世の光をすべて吸い込んだみたいな康二くんの瞳に魅了されて、もう二度と会えなくてもいいという冒頭の気持ちにちょっぴり自信を失ったのでした。


エンタテイメントを楽しむことが当たり前ではなくなった世の中。彼らがまた舞台に立てる日を、彼らの輝きがまた沢山のひとに降り注ぐ瞬間を、待ちわびながら今日を生きよう。

向井康二のすゝめ ~彼を高みにつれてって~




向井康二さんに、
演技のお仕事をください。






滝沢歌舞伎ZEROを観た。
向井さんの官兵衛を観た。
一言でいえば、「衝撃」だった。


滝沢歌舞伎ZEROを観ることをとても楽しみにしていた。けれど、わたしが楽しみにしていたのは、滝沢歌舞伎という舞台作品そのものというよりは、その裏にあるストーリーや、9人の覚悟を感じることだった。滝沢さんから引き継いだ舞台。初めて9人揃って立つ新橋演舞場。それがどのようなものだったのかを知りたかった。実際に観てみたらやはり、わたしが知りたかった9人の覚悟、座長という重責を負う彼らが映し出されていたし、初期メンバーの6人がみんなを鼓舞し、経験の浅い(もしくは無い)3人が必死で食らいつている姿に心も打たれた。陳腐な言葉で迂闊に感想を述べられないくらいの緊張があって、それらは全く期待を裏切らない内容だった。


しかしひとつだけ
想定外だったことがあった。


向井さんの演技だ。


本当に失礼な話だけれど、滝沢歌舞伎を観る前のわたしは「あの舌ったらずなこーじくんが、舞台で台詞を?」と、思っていた。彼が努力家なことは分かっているけれど、滑舌や演技力は努力だけでは限界があると思えたし、わたしが知る限りの彼は決して器用な人ではなかったからだ。


だから2幕が始まって、官兵衛が登場したときには心底驚いた。


そこには、唸り、憎み、高笑いして目を見開く、狂気に満ちた彼がいた。


これが、向井康二
あの可愛い、向井康二


メイクは良く似合っていたけれど、見た目は遠目にもはっきりと向井さんだと分かった。どうしたって向井さんなのに、ここにいるこの人は、誰?

「江戸を血の海にしてやれえ!!!!!!」


気迫に息をのんだ。
空気が、震えていた。


薄気味悪さが、
ねっとりとした厭らしい気配が、
彼に纏わりついていた。


そして滑舌も良かった(なんで?)。


「こうしたら悪役っぽいかな」と、頭で考えてできるレベルは超えているように思えた。「頑張っている」ように見えてしまうこともなく、もう当たり前のように官兵衛で、そこにわたしの知る向井さんはいなかった。


そしてそんなわたしが滝沢歌舞伎の衝撃を消化しきれないまま、次に観たのが「白い巨塔」だった。


豪華キャストで、実力派俳優に囲まれた作品だから、決して彼の演技が飛び抜けていたわけではなかった。それでも、見ている人がちゃんと彼の味方をしたくなったし、もっともっと経験を積めばさらに光るのではと、今後を期待するに足る演技だったと思う。しかも、岡田准一さん、松山ケンイチさん、斎藤工さん、柳葉敏郎さん、岸部一徳さんに、岸本加世子さん。これだけたくさんの実力派俳優の演技を目の当たりにできたことが、彼にとってはきっとものすごいプラスな経験のはずだった。


第3夜から出演した向井さんは、滝沢歌舞伎からは一転して今度は優しい一人息子を演じていた。舞台とはやはり勝手が違うのか、時折ぎこちなさは垣間見えるものの、感情が入るシーンと、表情がとても良かったように思う。


お父さんが死んだあとの泣き方、涙の拭い方、霊柩車を見送る表情。

人柄の良さと悔しさが入り交じった「黙ってないでなんか言うてや!!」という叫び、「父がこんな死に方をしたのが、どうしても悔しい…。僕は、この問題を徹底的に追求します。」と言ったときの声の震えと、芯の強さが今も耳に残る。赤らんだ目と、そのまなざしの強さが、忘れられない。彼のもつ優しさが、人の気持ちに対する想像力につながって、演技に生きているのだと思った。とても、とても嬉しかった。



実は、向井さんを好きになった頃、Twitterに「こーじくんにSHOCKのライバル役をやらせてください」と投稿しかけてやめたことがある。たかがTwitterの投稿かもしれない。それでも、単に好きという理由だけでは彼を推せないくらいにはSHOCKという舞台に思い入れがあったし、可愛くて、甘えん坊で、何より優しさが滲み出ている向井さんがライバル役に適任だとは思えなかった。それに、そもそも向井さんが演技のお仕事をしたいのかどうかも分からなかった。


でも、滝沢歌舞伎白い巨塔を見て、印象が全く変わってしまった。


SHOCKのライバル役は、全キャストの中で一番感情の振り幅が広い。仲間に見せる無邪気さ、上り詰めてやるという野心、ライバルへの闘志と嫉妬、切ない恋心、絶望、後悔…それらすべてを向井さんなら表現できるのではと思えた。彼の優しさ故の想像力をもってすれば、いいライバル役になるのでは、と。最近の連載誌で、彼が演技のお仕事に興味を持っているということも知り、期待は高まるばかり。


今は新型コロナウイルスの影響で、舞台公演やドラマ撮影が思うようにはできない世の中だけれど、もしもまた、これまでのSHOCKのストーリーが戻ってくる日がきたのなら、そのときは光一さん…


向井康二さんをライバル役に起用しませんか。


個人的には、ユウマに匹敵するいいライバル役になるのではと期待しています。


ということで、各方面の皆さん、向井さんに演技のお仕事をください。これからの彼に、沢山の経験をください。舞台でもドラマでも映画でも、なんでもください(本当は彼の悪役が好きですが、優しすぎて悪役ばかりだと彼の心がめげそうなので、普通の役もまぜてください。)。

彼を高みへ連れて行ってください。どうかどうか、彼が沢山の方の目にとまりますように。




(最後に)
これでも十分に彼のポテンシャルが伝わると思えてきた。