猿出の新規、強さと優しさの色を知る(#E7BB5E)


大好きな人に、初めて会った。
大好きで大好きでたまらないひとを、
初めてこの目に映した。


その瞬間の感情をただ書き残したくて
また久々にこのブログを書いている。



彼を好きになったのが2020年6月27日。



好きになってから9か月半。
運よく入れることになった滝沢歌舞伎


やっとだった。
でも、あらゆるエンタテイメントの場が消えゆく中にあって、たった9か月半で会えるのだからむしろ幸運なのだろう。



「たった一度だとしてもかまわない」
「もう今後二度と会えなくてもいい」


本気でそう思っていた。



実はSnow Manのメンバーで唯一、本当にただひとりだけ、向井康二さんのことだけは直接見たことがなかった。



実在する彼を感じて
あの日救ってくれた彼が輝いている瞬間を
この目に映すことができたら。


彼をこの目に捉えて
胸の中で感謝を唱えることができたら
それだけで。


自己満足でしかないけれど
そういう気持ちだった。



もちんろん「好き」だし、
なんなら「大好き」だし、
かっこいいし、可愛いし、尊敬している。


でも彼を好きになった日に感じたのは救い。


この世の中に、
今わたしが生きているこの世界に、
こんなにも心優しいひとが存在している。
そんな救い。


(出会いは過去記事参照)
moz.hatenablog.com


どんな感情が生まれても
前提にあるのは感謝だった。
舞台に対するワクワクした興奮すら
軽く上回ってしまうほどに込みあがる
重たくて自分でも処理しきれない感情。


それでも開演は刻々と迫り
心を落ち着ける暇などないまま
幕は上がる。


幕の向こうの眩い光
その世界観に一気に引き込まれ
舞い踊る桜に、体中が魅了された。
涙が一筋だけ零れて、視界が霞んだ。


泣いていたら彼らが見えない。
でも、涙を拭う仕草すら惜しいほど。


立てる舞台に全力で取り組み、
輝いている、大好きなひとたち。


そして、初めて目に映す
その中でも特別に大切なひと。



あんなにも素直で
あんなにも綺麗で
温かくて、寂しがりやで。

どこか哀愁があって
孤独で
高潔で

愛されたいと言いながらも

愛されるためではなく
当たり前に人を愛するひとを

繊細だけど強くて、
きちんと自分自身を大切にしていて、
それなのに人のためになら
自分を犠牲にしてしまうひとを


どうして好きにならないことができるだろう



そして自分は今、好きになったその人をこの目に映せているのだと思ったら、もう何も思い残すことはないと思った(死ぬの?)。



わたしが初めて見た向井さんは
輝いていて、確かに存在していました。



特別な人を、初めてこの目に映した、
あの日あの瞬間の得も言われぬ感情を
きっとずっと忘れない。






ちなみに、この公演は
同担のお友達と入った。


いつも前向きで優しくて
康二くんのことが大好きなんだって
ツイートからひしひしと伝わってくる
とても素敵なお友達(フォロワさん)で
会いたくても中々会えなかったのだけれど
この公演を機にやっと会えることになった。


向井担の方は本当にみんな優しくて驚く。
彼女も例に漏れず、しかしその中でも圧倒的に優しくて。そんなお友達と一緒に康二くんを見られているんだと思ったら相乗効果になって、会場にいる間ずっと、いろんな感情が溢れてとまらなかった。


結果、滝沢歌舞伎を観た感想は
「わたしは人に救われて生きてる」
(情緒がすごい)


本当は、演技とか、
作品へのすばらしさとか
色々と感じたことがあったのだけれど
文字に起こすにはあまりにもおぼろげで
遠い記憶のようになってしまった。
まるで夢のようで。


座った席はとても見やすくて
官兵衛がとにかく近くて。


官兵衛が出てきた瞬間には、
ついお友達と寄り添った。
(初対面なのにね。)


誰かと寄り添わずして
正気を保てるとは思えない
存在感、空気、


そして、多少は誇張というか、あくまでも喩えだと思っていた彼の瞳の色は、光が当たると本当にハチミツ色だった。


茶でも金でもなくて
本当にハチミツ色だった。


こうしてわたしは、この世の光をすべて吸い込んだみたいな康二くんの瞳に魅了されて、もう二度と会えなくてもいいという冒頭の気持ちにちょっぴり自信を失ったのでした。


エンタテイメントを楽しむことが当たり前ではなくなった世の中。彼らがまた舞台に立てる日を、彼らの輝きがまた沢山のひとに降り注ぐ瞬間を、待ちわびながら今日を生きよう。