朗読劇『ハロルドとモード』

舞台『ハロルドとモード』を観てきました。
今年、ハロルドを演じるのはSnow Man 向井康二さん。

彼の演技が好きな私は、この舞台をとても楽しみにしていました。しかも朗読劇。私は形式問わず舞台は広く好きなのですが、朗読劇は特に好き。役者の声色、最小限の表情・身振りだけで広げられる世界。そして役者の表現力と観客の想像力が相互に作用することで世界が形作られる感覚。しかもなかなか観る機会が多くないだけに、余計に高まる期待。


ハロルドとモードの原作は1970年代の米国映画ですが、正直に言うと、これまで私はこの作品を観たことがありませんでした。生田斗真さんが舞台の初代ハロルドを演じた時に作品自体は認識し、その後、藤井流星さんや佐藤勝利さんが起用されたことも知ってはいました。ただ、ストーリーに関しては「青年とおばあさんの恋物語である」という程度の理解しかしていませんでした。本音を言えば、康二くんの出演が決まっていなかったら観ることもなかったかもしれません。でも、私は結果的に仮に康二くんという存在を抜きにしたとしても、この作品を知ることに大きな価値があったと思っています。知れて本当に良かった。


原作のある舞台作品を観るとき、私は基本的に先に原作をチェックすることが多いです。これは、舞台において時間や演出の都合でカットされたり変更される内容があったとき、作品への理解が及びきらないのが嫌だから。後から原作を確認して(そういうことなら、あの時のあの人の表情をもっと見ておくんだった…)と後悔することがあるからです。

でも、今回私は観劇を終えるまで原作をチェックしないことに決めていました。その理由は、この作品が「朗読劇」だから。一定、観客の想像力に任せる部分のある舞台形式だから。映画を見てしまったら、きっと映画でみた情景に引きずられて、自分の想像力がその枠を超えることができなくなると考えて、舞台を先に観ることに決めました。結局観劇の翌日に原作映画を観たのですが、やはり先に舞台を観たのは正解だったと思っています。(個人の意見なので、先に原作確認したいひとはそれでも全然構わないと思います。)
この作品に限って言えば、かなり原作に忠実で、カットされている場面や設定の変更もほとんどありませんが、舞台オリジナルシーンはちょこちょこあります(映画しか見ていないので、もしかしたらノベライズにはあるシーンかもしれません…)。舞台の上演時間は約1時間40分、原作映画も90分程度とほとんど変わりません。ちなみに、原作映画、最高に素敵な作品だから、舞台の前にせよ後にせよ、最終的には観ることをお勧めします。配信で観られる。今回舞台を見られない方も、映画だけは観てみてもいいと思う。


ざっくりとあらすじを話せば、愛に飢え、狂言自殺を繰り返す19歳の青年ハロルドが、天衣無縫・天真爛漫な79歳の老婦人モードに出会い、愛を知る物語。命や人生という、答えのない重いテーマがとても魅力的に描かれています。命を軽視してはいないけれど、死を自然なこととして捉え、愛するひとのために「生きる」のか「死ぬ」のか、そんなことまでがとても美しく軽やかに、哲学的に、時に芸術的に、そして真理を知るかのように表現された作品。


舞台の中で明言はされていませんが、モードの腕に入ったタトゥーにハロルドが気が付くシーンがあります。ナチスドイツの収容所にいたことを意味しているものだと理解しました。壮絶な人生を経て、大切な人もたくさん失い、深い悲しみを知るモードが、79歳の今、どのように生きるのが楽しいのかを19歳の青年に丁寧に見せていく様子に、陳腐な表現ながら心打たれました。愛に飢え、終わりゆくものに焦がれていたハロルドが、自ら愛することを知り、愛する人には「生きてほしい」と願うようになる。さみしいのに、温かさがあるストーリーが本当にたまらなく魅力的です。そもそもとしてモードは魅力的なキャラクターですが、それを徹子さんが演じることで愛らしさが増し、どこか儚さを身にまとう康二くんがハロルドを演じることで、ハロルドの心情の揺れや若さ、青さもより一層伝わるように思いました。
このシーンはハロルドとモードがともに夕陽を眺めるシーンでもあり、康二くん演じるハロルドの瞳の潤みと揺らめき、そして光が取り込まれていくさまは、もう言葉では表せない美しさがあり、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。


ここまで話すととても重い話のように聞こえるかもしれませんが、実際にはクスッと笑える要素もふんだんに盛り込まれています。モードの純真さからくる予測のつかない行動はもちろん、それに驚かされ振り回されつつも感銘を受けていくハロルドのかわいらしさ。ちなみに、徹子さんと康二くん以外のキャストは全員1人2役以上を演じるのですが、戸田恵子さんのずば抜けた表現力(さすが声優も務めるだけあって、声だけで表現する世界の広さが尋常じゃない)、渡辺いっけいさんのまじめな神父、古風な軍人像、良い意味で哀れで愛すべき芸術家までを演じきるふり幅、ハロルドへの理解が及びきらない精神科医からモードに振り回される不憫でかわいらしい警官をコミカルに演じる片桐仁さん。そしてさらには、主にモードとのお見合い相手の3役を演じた桜井日奈子さんの愛らしさ。可愛い顔でサンシャイン・ドアを演じきったのには、さすがの一言。桜井日奈子さんがあそこまで笑いをとっていくとは予想していなくて、もてる可愛らしさと演技力をどちらも損なわず、全力で演じきる彼女が好きで仕方ありませんでした。そして、ひそかに桜井日奈子さんのファンクラブに入っているのですが、もう絶対に更新しつづけるぞ、と決意を固める私なのでした…。


ところでこの日、徹子さんが途中で咳が止まらなくなってしまうハプニングがありました。舞台上に飲み物は用意されていますが、出ずっぱりであれだけの朗読をしていれば、そういう日もあって当然かと思います。徹子さんは何度か咳き込んでから「ごめんなさいね、」と言い、それに対して康二くんが「いいんだよ、モード」と優しく声をかけました。アドリブでありながら、確かにモードとハロルドの関係性を崩すことなく愛ある空間を保ったまま進めたことに、生のエンタメの良さと2人の信頼関係を強く感じました。


話は進み、終盤に頬を濡らしながらギターを弾くハロルドの痛みと美しさを目にしていたとき、周りの観客のすすり泣く声が耳に入ってきました。ちなみに私はそれより前のシーン(モードの家のフォトフレームに写真がないあたり)からずっと泣いていたのですが、周りも泣いていることに気が付いたのはこのシーンでした。以前、白い巨塔を観た時に康二くんに感じたのが「観ているひとを引き込むちから」です。器用で巧みな演技をするというよりも、観ているひとが味方をしたくなるような、感情移入を誘う演技をするよなぁと改めて思いました。

細かいことを語りだしたらキリがないので、感想はここまでにしておきます。幸運なことに、まだこの作品を観る予定があるので、次は原作映画との微妙な言い回しの違いや舞台のオリジナルシーンの意味合いなども考えながら鑑賞したいと思います。最高の作品を知り、その朗読劇を見られたこと、心から幸せに思います。残りの公演も通じて、どうかこの愛の物語がたくさんの人に届きますように。