「炎立つ」に見る新しい三宅健

 タイトル見て「え?いま?このタイミングで?」って思った方もいるかもしれない。遅い。遅すぎる。でも、ずっと感想書いてなかったこと、心の隅っこでずっと気になっていて、勝手に気にしていた。そもそもブログ向いてない。まず、マメじゃない。

マメじゃない私がいま思い立ったのだ。だから、いま書く。

 

さて、わたしが前回の記事を書いたのは8月17日。実に4か月以上前だ

moz.hatenablog.com

 

 ちなみに、「炎立つ」を初めて観に行ったのはまさに8月17日。

サマソニの感想書くついでに一気に書いてしまえばよかったものを…怠惰を貪るとはこういうこと。

さて、肝心の「炎立つ」について。ネタバレを含むため、その辺は自己責任で(公演は終わっているから問題ないはず)。

東京公演3回、愛知公演1回の計4回見ました。三宅さんへの愛が止まらず、遠征までする始末。愛知公演については、実はその翌日に堂本剛さんのソロライブの愛知公演があったのもきっかけではあるけれど、それでも、わざわざ観に行ってよかったと思ってる。

 

炎立つ

原作は高橋克彦さんで、1巻が刊行されたのは1992年だそう。わたしまだ赤ちゃんだった。読もうか悩んだが、歴史が苦手なうえに小説をあまり読まないわたしはこの作品が長編小説だと聞いてまだ購入に踏み切れていない。

炎立つ 壱 北の埋み火 (講談社文庫)

炎立つ 壱 北の埋み火 (講談社文庫)

 

 歴史に疎い(「疎い」では済まされないけれど)わたしは事前学習もせず、とりあえず観に行った。

 

主人公キヨヒラ(清衡)を演じたのが片岡愛之助さん。キヨヒラの父親違いの弟イエヒラ(家衡)を演じたのが三宅さんだ。

開演してすぐ、杭を打つキヨヒラが現れる。その手に何を持っているわけではなく、ただひたすらに動きだけで木槌を振っていることを表現する。片岡愛之助さんの演技を目にするのは初めてだったが、その動きだけでも彼の実力を思い知った。そして、今回の舞台には大御所の平幹二郎さんも出演する。

 

 

三宅さん、こんなにすごい人たちと同じ舞台にたつの?

  

  

三宅さんが出てきたとき「ん?あれ、三宅さんだよね…?みや…け……さん?」と戸惑った。三宅さんのように見えるのだけれど、雰囲気が少し違う。しかも声はもう、全然違った。よく聞けば、少し鼻にかかった三宅さんの声が感じられるけれど、随分と低く迫力のある声に作りこんでいた。少し攻撃的で、挑発的な声。

 

「三宅さんって、こんな雰囲気纏えるんだ…」と寒気すらした。

 

わたしの中で「三宅健」という存在はとってもミステリアスだ。あんなにも可愛くて、無邪気で、人たらしで、誰からも愛されているのに、どこか掴めなくて、影がある。

三宅健のラヂオ」や、たまに撮られる写真でプライベートを垣間見てもなお、彼に生活感を見いだせないのは、わたしだけだろうか。

イエヒラと健くんが似てるとまでは言わないけれど、影を纏った三宅さんは、「私たちが知らない三宅健」で、でも「私たちが知っている『いつも想像を超えてくる』三宅健」だった。

 

個人的には、片岡さん演じるキヨヒラという役柄はあまり好きではなかった。あまりにも、真っ直ぐすぎた。わたし自身が決してピュアな人間ではないし、常に斜に構えて物事を考えるひねくれ者だと自覚しているので、真っ直ぐな人間を好きになれないわたしの精神が荒んでいるというだけのことかもしれない。

三宅さんも「キヨヒラが一番の策士」と言っていたのが、わかる気がする。どこまでがキヨヒラの本音かは分からないけれど、彼は器用な人間だったと思う。母の愛を受けて育ったとはいえ、その母親は敵将のもとに嫁ぎ、自分は幽閉状態にあったわけだから、ひねくれてもおかしくない。敵の子であるイエヒラを憎み、嫉妬に駆られてもいいと思うのに、キヨヒラは冷静で穏やかで、着実に人の心を掴んでいく。

優しい人物像として描かれていたけれど、結局はイエヒラ死んでるからね?イエヒラを死に追いやったのはキヨヒラだからね?もっと他に方法なかったの?イエヒラの性格考えれば、そうなるの分かったでしょう?イエヒラは降参とかできないじゃない。と、思ってしまった。あれ、イエヒラに肩入れしすぎ?

 

真っ直ぐなキヨヒラ対して、イエヒラは不器用な人間だった。そもそも母にとっては「カタキの子」であるという理由で愛されていないと感じていた彼は、幼少期から兄にものすごいコンプレックスを感じて生きてきたはず。一族の棟梁となるはずの身分にも関わらず(結局は家を継げないわけだけれど)、満たされない心。

彼は最後まで純粋に「母からの愛」が欲しかっただけ。一族の棟梁になれば母も認めてくれるんじゃないか、ただそれだけの気持ちで必死になっていたんじゃないか。母の情愛を受けたいという気持ちだけなら、それはピュアそのものだったと思う。

 

それなのに、兄に対して抱く劣等感が邪魔をして、「兄よりわたしを」「兄じゃなくてわたしを」という気持ちが彼の中にある。その上、血縁が重視される時代にあって、自分が家を継げないと分かった時のイエヒラの絶望を思うだけで、胸が引き裂かれる。

彼は不器用で、気持ちが先行して横暴な態度もとるし、目的のためには手段も択ばない。したたかなように見えるけれど、本当は不器用で、目的のために必死で、いつしか目的しか見えなくなって、孤立してしまったのだ。

彼のしたことは非道だったかもしれない。残酷だったかもしれない。でも、とっても感情的で人間らしいと思う。

 

こんな難しい役柄を三宅さんが。あの三宅さんが、演じてるなんて。

だんだん精神が蝕まれていくのに合わせて、声の迫力も増して、でもどこか追いつめられてく切なさもあって。イエヒラが死んだときは、涙が流れた。イエヒラに肩入れする人、少ないとは思うけれど。

個人的なハイライトは、平幹二郎さん演じるアラハバキにグッと胸ぐらを掴まれた時のイエヒラの「ハッ…」っていう、息をのむ音。毎回聞こえ方が違ったから、本当にその時の衝撃でやっていたのだと思う。

1回目に観た時のその息遣いにあまりにも色気があって、たまらなかった。追い込まれた人が放つ、刹那に感じる色気。命の灯が消えるか消えないかの岐路に人間が放つ、最後の色気だったと思う。

 

そして、作品を理解する上で、語り手がいたのは大きかったと思う。キヨヒラに仕える最古参の男、イシマル(花王おさむさん)が語り手を兼ねていたのに加えて、コロスの存在も大きかった。歴史に疎いわたしが、様々な語彙や状況を理解しながら観劇できたのは、彼/彼女たちの存在があってこそだった。また、こういう舞台が観たい。

 

あぁ、本当に出会えてよかったと思える、とても切ない作品だった。

そして、また新しい三宅さんをみた。 

 

いくつになっても、

新たな一面を見せてくれる三宅さん。

やっぱり好きです。本当に大好きです。